こんにちは。
先日私の中でいちばんと言っていいほど思い入れのある犬が亡くなりました。
ゴールデンレトリーバーで10歳でした。
彼女の名前は「ココ」
ココちゃんは私が最初に勤務していた病院の患者さんで、獣医になって2ヶ月目ぐらいからずっと診ていた子です。
ゴールデン、しかもうちで最初に飼っていたのと同じ白色ということで、なんとなく親近感があり、獣医になりたてで右も左も分からない私にとっては心の支えになっていました。
性格は「天真爛漫」そのもの。
誰に対しても嬉しさを爆発させる子ではありましたが、診察室に入ってくるなり私に飛びかかって喜びを爆発させるのが恒例となっていました。
一緒にコーギーを買っているのですがうちも近所に住んでいた祖母がコーギーを飼っていて、そこも一緒だったんです。
最初の病院で4年半、毎月のように病院に来院しフィラリアの薬を飲ませたりおやつをあげたりしていました。
その後病院を退職し東京での生活が約4年、その間は全く会っておらず連絡も取っていませんでした。
しかし1年半ぐらい前から再び交流が始まり、1〜2ヶ月に1回遊びに行くようになりました。
数年間会っていなかったのでどんなリアクションをとるのかな?と楽しみにしていましたが、久しぶりにあっても毎月病院で会ったときのように飛びついて「ヒーヒー」鳴きながら喜びを爆発させる彼女。
誰の声も届くことはなく、10分ぐらい経たないと毎回落ち着きませんでした。
飼い主さん曰く、こんなに興奮するのは私だけだったようです😅
うちの2人の子供も連れて行きましたが、全く興味なく毎回私に飛びかかってくる。
子供達も圧倒されていました・・・
会わなかった約4年の間にアレルギーがひどくなったり顎の骨肉腫になり手術をしたりと色々大変な日々を送っていたようでしたが、彼女は持ち前の明るさで乗り切っていました。
5月の末に会いに行ったときも子供達そっちのけで私にしか興味のなかった彼女。
全く変わらない様子でした。
しかし、別れは突然訪れました。
私が最後にあってからわずか10日後、ココちゃんは天国へ昇ってしまいました。
胃捻転です。
胃が捻れて中にガスが溜まってしまい、大きな血管を圧迫し血流障害を起こす病気です。
最悪の場合死ぬ可能性がありますが、発見してすぐであればほとんどが助かる病気です。
その日の朝も変わらず元気で散歩も行き食欲も旺盛だったようです。
しかし具合が悪くなってわずか数時間、突然逝ってしまいました。
あまりにも突然の死。
飼い主さんから連絡をもらった時、はじめは何が起きたのか理解ができませんでした。
今までも近所の散歩仲間だったり往診先の子だったり、プライベートで関わっている犬達はたくさんいましたが、ここまで急に亡くなってしまった子はいませんでした。
心の準備なんてできていません。
しかし私よりも実際に目の前でその出来事を目撃した飼い主さんの気持ちは計り知れないものがあります。
しかし色々考えるうちに1頭だけあっさりと亡くなってしまった犬が身近にいました。
私が最初に飼っていたゴールデン「バティ」です。
バティは私が16歳の時に飼い始めました。
高校に行きたくなく家にいた私にとってバティは「友達」であり「兄弟」であり「人生のパートナー」でした。
「何かあった時に自分で治したい」
その想いだけで獣医を目指しました。
しかし大学6年の4月、卒業まで残り1年を切った春に実にあっさり亡くなってしまったのです。
状況はとても似ていました。
前日までは元気、朝もご飯を食べましたが突然嘔吐、失禁して倒れました。
病院に連れて行きましたがそこの病院では詳しいことはわからず大きい病院に連れて行こうと思い車に乗せたその時に私の顔を見ながら、腕の中で亡くなりました。
実にあっさりとした「死」
姿形、性格、飼っている環境だけでなく死に方も同様だったんです。
ちょうどココちゃんに最後に会いに行った時にこんな話をしていました。
「こんなに俺に飛びかかって喜んでくれるし大きさや色も似ているし、もしかしたらうちの子の生まれ変わりなのかもしれないよね笑」
そんな会話をした10日後に突然の別れ。
自分の犬以外であんなにも心に穴が開いたのは初めてでした。
動物は実に様々なことを教えてくれます。
当たり前ですが犬猫の方が人間よりも寿命が短い。
これはもしかしたら人間に「死」の意味、もっと言えば「生」の意味を教えてくれてるんじゃないかと思うことがあります。
我々人間ももちろん死にます。
しかし現代人、特に現代の日本人は「死」について考えることをしていないように思えます。
というか考えること自体がタブーのような風潮があります。
「死生観」という言葉があります。
「死」と「生」は表裏一体。
生きているものに与えられた唯一平等な権利は「死ぬこと」なんです。
「死」を意識するからこそ「生」、もっと言えば「今、この時」を大切にできる。
逆に「死」を意識しない生き方だとこのままずっと変わらない日常が続くと思い、「生」を大切にしない。
こんな言い方をすると賛否があるかもしれませんが、今の日本人は「生」を大切にしていないように思えます。
誰かが決めた意味不明なルールを疑うこともなく、自分のやりたいことを我慢している
そしてその我慢のせいでストレスが溜まり、周りにもそのルールを押し付けてくる人もいる
さらには子供にまで大人の「常識」というものを当てはめ、大切な子供の遊ぶ時間を奪っている
多くの人は死ぬ前に後悔するそうです
「もっとやりたい事をやっておけばよかった」
「もっと会いたい人に会っておけばよかった」
これは「今、この時」を無視し、過去や未来にとらわれ、他人に嫌われたくない一心で生きている多くの現代人に当てはまるんじゃないでしょうか??
そんな現代人に動物達は教えてくれているんだと思います。
動物達は「死」に対する恐怖など一切ありません。
その分「生」に対する変な執着もありません。
やりたいことをその時に一生懸命にやっているだけです。
もちろん現代社会で生きていく以上、全て自分のやりたいことだけやることはできないかもしれませんが、今回の件でもわかるように命はいつまでもあるわけではありません。
そして数年前からの突然の時代の流れの変化。
もう今までの常識は当たり前ではなくなり、今後も同じような生活が続く保証などどこにもないのです。
それでも変わらない現代人に動物は教えてくれているんだと思います。
自分のやりたい事を今すぐやり、会いたい人には今すぐに会いに行ぐ
動物を見ていると急に死んでしまう子は一定数います。
これは人にも言える事。
特に今後恐ろしい感染症や争い事などが起きる可能性もなくは無いこの状況では、数年後、特に老後など心配するのではなく「今、この時」を大切にするべきなのではないのでしょうか。
それを動物達は身体を張って人間達に伝えているんだと思います。
動物病院で働いていると死に接することが多いですが、今回の件で改めて「生きる」ことの大切さを実感し、今の日常が当たり前でない事を痛感しました。
ココちゃん、10年間ずっと変わらぬリアクションで接してくれて本当にありがとう。
そしてバティ。
希望のない日常に光を与えてくれ、こんなにも多くの動物とその飼い主さん達と出会わせてくれた事、本当に感謝しています。
やはりゴールデンは最高なパートナーです。
長くなりましたが最後まで御拝読ありがとうございました。
コメント
先生に会うのまっていたみたいですね、ほんと動物は様々なことを教えてくれます。とくに病だとこちらの人生感も教えてくれるし、普通の日々がどんなに大切で幸せか分からせてくれますね。
生きとし生きるもの生老病死は必ずくるから楽しい毎日、あと人との出会い大切ですね