動物の最期を看取る 〜おすしを見ていて気がついた事〜

こんにちは。

今日は人間、動物にとっての永遠のテーマである「死」についてちょっと書きたいと思います。

個人的な考えが多いので興味があれば読んでみてください。

まず、当たり前のことですが命ある者は100%死を迎えます。

これは皆が知っている事。

でも想像してみてください、自分の死を。

と言われて具体的に想像できる人はおそらくいないと思います。

それは、誰もが死んだことなんてないから・・・

私も想像なんてできませんww

なのになぜ、皆死ぬ事は悪い事、避けなければいけないことのような風潮になるんでしょうか?

私なりに様々な本や動画を通じて至った結論があります。

それは

「皆自分の身近な人に限って死なないと思っているし、特に自分は永遠に生きれると思っている」

ということです。

もちろん普通に考えたらそんな事はない、って事は子供でもわかる事ですね。

ただここで言いたいのはほとんどの人は、人の死を近くで見てきていないって事。

私もそうです。

私の祖父母は4人中3人が亡くなっていますが、死に立ち会ったのは1人だけ。

それも病院で。

昔はある意味死が目の前にあるのが当たり前にあったと思うんです。

寿命はこんなに長くなかったし子供も亡くなるリスクが高かった。

そして病院もなかったと思うので基本的には亡くなるのは自宅。

もちろん死は悲しい物ではありますが、生活の中に溶け込んでいたんだろうと思います。

しかし現在はどうかといえば子供のうちに不幸にも亡くなる子はほとんどいなくなっただけでなく、70代で亡くなっても早いと言われる。

さらに亡くなるのはほとんどの場合病院などの施設で、自宅で亡くなった場合警察のお世話になってしまうこともあるそう。

そんな世の中ではしに触れること自体がタブーになってしまうのもうなずけます。

それほど死は異常なものになってきているんです。

さて、今までは人間の話でしたが犬猫など人に飼われている動物達の死について考えてみたいと思います。

最初に書きましたが動物は誰でも最終的には亡くなります。

これは自然の中では至極真っ当なこと。

誕生があってその命はいずれ亡くなる、それが循環というものです。

動物達は当然ですが人間より寿命が短いです。

高齢の飼い主さんでなければ普通は動物達の方が先に逝くはずです。

これは人間にとってはとても悲しいものですよね。

ただこの「動物達の死」から私たちは決して目を逸らしてはいけないと思うんです。

動物達は実に様々な事を人間に教えてくれているんです。

動物達は過去に執われる事もなければ未来に不安を抱えながら生きる事もありません。

常に「今、ここ」しかないんです。

つまり動物達は死の恐れなどおそらくないんです。

でもよく聞く話ですが、犬は家族を待って亡くなることが多く、猫は最期死場所を求めて一人になると言います。

つまり本能では「死」を認識しているわけです。死が分かっているってことですね。

ちょっと長くなりましたが何が言いたいかというと

本能で死が感じ取れていると、今、ここを一生懸命に生きれるんじゃないか

ということです。

そして、今を十分に生きていれば悲しむことはあってもそれを長く引きずることはしなくなるんじゃないか?とも思うんです。

日本人は欧米人に比べて「ペットロス」になる割合が多いと聞いたことがあります。

これはなぜか?って考えたときに、おそらく日本人は動物達に対してやり残したことが多いんじゃないのかな、と思ったんですよね。

日本人は何に対しても我慢しがちです。

我慢して学校に通い、我慢して満員電車に乗り、我慢して好きでもない仕事をしている人が多いと感じています。

これは飼っている動物達に対しても同じなんじゃないでしょうか?

散歩に行ってもうちの子吠えるから、と行きたいところへ行けなかったり、早く散歩を切り上げたり。

メディアでは人の食べ物をあげるなんて非常識と刷り込まれて

動物病院では言われるがままに検査、処方を行われる。

そして近年の動物医療はとても高騰していて保険にも入っているため、動物に対してそれ以外にお金をかけられない。

こんな我慢を続けたらいざ歳をとったときにやってあげたかったこと、やり残したことが多くなるのは当然なんじゃないでしょうか?

皆様にこれが当てはまるかはわかりませんが、獣医として働いてきてなんとなくそんな感じがします。

そんな中動物達が亡くなってしまう・・・

そうすると何かをしてあげたかったという後悔ばかりが残ってペットロスになるんじゃないでしょうか?

以前にもブログに載せましたがERの時の患者さんの「おすし」が先日亡くなりました。

彼女は14歳までセラピードッグとして活躍していましたが、お正月に痙攣発作を起こし死の縁を彷徨ったのをきっかけにセラピードッグを引退しました。

飼い主さんはそこからはボーナスステージだと思って、おすしの食べたいものをあげたそうです。

毎日のように車でドライブをし、食べたいときに食べたいものを食べる。

それが身体に悪くても(フードはいいものをあげていましww)

それで16歳で亡くなったわけですが飼い主さん達にはおすしを失った後に引きずるような悲しみはなさそうです。

そしておすしの周りの我々にもそのような悲しみはほとんどないように思えます。

「死」はもちろん悲しいものですが、「生」を充実させてくれるものでもあります。

「生」を充実させることができれば亡くなった後、悲しみにふけるよりも、「お疲れ様」と声をかけてあげられるようになるんじゃないでしょうか

そして残された我々も「生」を充実させることができるんじゃないのでしょうか。

ちょっと長くなりましたが結論。

我慢ばかりしないで人生楽しみましょう!!

だって明日死ぬかもしれないんだから!!

我慢してもいいことはあまりありません。

それよりもこの時代、この世に生まれた喜びを噛みしめながら毎日を全力で生きていきましょう!!

コメント

  1. 先生のおっしゃる通りです、やりたい事しないで亡くなるのは後悔が残ると思う、よく亡くなる間際の方々が皆さんいいますね、もっと自分のしたい事したかったと。動物を見習って今この時間を大切に生きようと思います。自分自身死にかけた事もあるので死はいつも身近に感じています。

  2. 我が家の猫も痛み苦しみなく逝かせてあげたいと祈っています

  3. おすしと彩 ときどき恵美ちゃん より:

    あまり先の事を気にして生きないタイプの私ですが(笑)、今回おすしの死を通じて、飼っている動物が元気なうちから病気になった時のこと、最期が近くなってきた時のこと、なかなかデリケートな話題だけど家族で話し合いをしておく事はとても大切だと思いました
    いざという時に落ち着いて自分達なりの最良の対応を取れると思います
    悲しい気持ちも寂しい気持ちもいーっぱいあるけれど、せっかく運命の縁があって家族になった動物に最期の最期までしっかりと向き合ってあげることは動物達に対しての感謝の気持ちを伝える美しい形だと思います
    飼い主の立場としては、一番の理想は、これらの話を気軽に相談できるような獣医さんや病院側の体制が増えること。そうなれば大切な家族である動物の死に対するイメージや向き合う姿勢がもっともっと変わってくると思います
    人と動物達みんながそんな風に前向きに楽しく共存できる世の中になるといいな…

    時には真面目な彩ちゃんより

    • キヨ より:

      真面目!!

      命の話は本来なら一番大切なことですがどうしても後回しにしがちですよね。
      どのような治療にするのかは獣医師の判断によるところも大きいけど、どうあって欲しいかは飼い主さんの意向が大切。

  4. 彩様へ
    本当おっしゃる通りですよね!
    だから死が余計に怖くなってしまうんですよね、だいたいの飼い主さんが心がまえができてないからロスにもなるし。
    あとこのように動物を通じてお知り合いになりいろいろ話せる事もすごい励みになりますよね。本当にありがとうございました

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