最期をどう迎えるか

こんにちは。

暑い、というか意味のわからないぐらい暑い日が続いていますね😅

やっぱりこんな日は早く帰ってビールに限ります👍

皆様、人間も動物たちも体調管理に気をつけてくださいね。

さて、ここ2週続けて往診をしていた動物を見送りました。

2頭とも最後の瞬間は苦しんでいない様子でしたし、飼い主さんが割と清々しい、やり切った感が出ていたのが印象的でした。

しかしそこまで来るのに色々と経験している子達でした。

最期をどう迎えるのか?

これは動物達の命に関わる上でとても大切になってきます。

というかむしろそこを一番に考えることで「どう生きるのか?」が決まってくるような氣がしています。

そしてこれは人間も同じです。

今の日本人にとって「死」を語ることは最大のタブーになっている氣がしています。

でも生き物であれば必ずその時はきます。

動物でも植物でも。

生あるものは必ず死にますし、死ぬからこそ次が生まれる余地ができる。

そうやってこの星は循環しているんです。

自分や犬猫の最期をどう迎えたいのか、それをしっかり考えることでどうやって生きるかが見えてくるんでしょう。

死ぬ時に後悔したくないこと。

こう言った本や記事をよく見ます。

その時に大体の人が

「もっと挑戦しておけばよかった」

「もっと人と会っておけばよかった」

「もっと人に気を使わずやりたいことをやればよかった」

と思うようです。

逆に

「もっとお金を持っておけばよかった」

「もっと大きな家に住んでいればよかった」

「もっと仕事をすればよかった」

って思う人は少ないみたいです。

現代人は死ぬとはわかっていても、自分だけは死なないって思っているように感じます。

いや、本当に死なないなんて思っている人はいないと思いますが、死というものが特別すぎて自分ごととして考えている人が少ないことは事実でしょう。

と言っても50〜60代以降になってくると身近な人が亡くなることが多くなり、最期の瞬間に立ち会うこともあるでしょう。

そうなってくると自分の最期を意識するようになる。

養老孟司先生もご自身が心筋梗塞で入院された際に死を意識したとのことでした。

でも私たちの世代ってまだまだ死なないと思っています。

そして上の世代も「人生100年時代」と言われ続けているのでまだまだ死なないと思っている。

そうするとどうなるか??

やりたいことを先延ばしして今を大切にしないんですよね。

将来のため、という来るか来ないかもわからない未来のために貯金をしようだの保険をかけようだの。

周りがどうだとか家族がどうだとか。

病気が心配で、老後が心配で・・・

そして長生きをすること自体が人生の目標になっていく、そんな感じがするんです。

じゃなければ「あの人は若かったのに・・・」みたいなことにはならないと思うんです。

人も動物も「何歳まで生きたか」よりも「どう生きたか」

ある人が100歳になっても経験できないようなことを50歳で経験できてしまう人もいるでしょう。

そうなるとその方が60歳で亡くなった時、「早すぎる死」と言えるんでしょうか??

これは動物達も一緒。

動物達はきっと飼い主さんを選んできています。

これはなんのエビデンスもないですが、自分はそうなのかなと思っています。

そしてもう一つ。

動物は自分で死ぬタイミングを図っています。

やり切った、もうやることがない、ってなると亡くなるように思います。

そして最近思うのが

「飼い主さんの気が済んだら」亡くなる子もいるかもしれません。

人も動物も楽しむために生きています。

「そんなことない!!」って言われたこともありますが、少なくても動物達は全員が楽しむために生きています。

長生きしたいな〜なんて思っている動物はいないでしょう。

でも人間の立場からすると長生きしてほしい、って思うのが当然でしょう。

じゃあ長生きしてどうあってほしいのか??ってことまで考えることも必要なんだとも思います。

長生きをした結果辛くなってしまうんだったら私だったら長生きをしたくありません。

穏やかな老後を暮らせるんだったら長生きもいいものかもしれません。

長生きをしていれば必ず体のどこかに不調は出るものです。

しかもそれが歳を重ねてから解消されることはほとんどなく、むしろどんどん不調になってくるところは多くなってきます。

これは生き物としては当然のことです。

ここからは自分だったら、って話なんで参考程度に聞いていただきたいですが、自分なら自力で歩けて自力で食べられて、自力でトイレにも行けて、体が多少痛くても疲れが抜けにくくなっていても、80歳ぐらいの年齢であれば病院には行かないでしょう。

突然の激しい痛み、苦しみ、いつもとは違う違和感。

こういうのがあってから病院に行くと思います。

「苦痛をとってもらいたい」

おそらく全ての生物に共通する思いはこれなんだと思いますし、飼い主さんに聞いても

「苦しませたくない」と言われることが多いです。

であるならば、ですよ。

本人がそこそこ元気なんだとしたら病院よりも自宅にいる時間や散歩をする時間を優先したほうがいいでしょうし、歳をとってからは積極的な検査は受ける必要も少ないのでは?と思います。

今回なくなってしまった2頭の飼い主さんも「少しやりすぎたのかな?」とおっしゃっておりましたが、でも私からしたらそこで気がついて最期ご自宅でゆっくり迎えられたんだからよかったんじゃないかな、と思っています。

死生観、死と生を観る。

医療を行う上、生き物が生きる上で一番大切な分野を今一度見つめ直すことができました。

コメント

  1. 佐々木典子 より:

    最後に先生に見てもらい本当によかったですありがとうございました
    愛猫もきっと安心したかと思います

    私も一生忘れられない愛猫と先生は心の宝物になりました感謝申し上げます

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