動物達の死が我々に教えてくれる事

こんにちは。

今日は真面目な話です。

ここ最近高齢の子が亡くなる事が多いです。

現在飼われている動物達はほとんどが高齢化してきております。

当然ですが命には限りがあります。

高齢の子が多いということは亡くなる子も多くなるということ。

そして秋口になり寒くなってくると人間もそうですが、動物達も身体のバランスが崩れて体調を崩す子が多くなってきます。

ですので毎年この時期からは亡くなってしまう子、体調の悪くなってしまう子が増えてきてしまうんです。

つい最近も残念ながら亡くなってしまった子がいました。

犬猫は私たち人間より寿命が短いです。

ということは必ずと言っていいほど見送る時期がやってきます。

人間も動物達も亡くなるということはとても辛い事です。

生き物は必ず死ぬ、というどうあがいても覆す事ができないこの事実。

みんなわかって入るけど実際になくなってしまうとすぐには受け入れられないのが正直なところなんじゃないでしょうか??

私は最初の犬を飼ったのが15歳でした。

高校1年の春(あっ・・・そういえば高校なんて行ってなかった・・・)

その子がきっかけで獣医になる道を目指しました。

そしてその子が亡くなったのが大学6年の春。

獣医になる直前、急に倒れてその日に亡くなりました。

近所の小さな動物病院に行っており原因もよくわからないまま私の腕の中で亡くなりました。

最期もう一度病院に連れて行こうとした私の眼をじっと見つめていたのが忘れられません・

「もう連れて行かなくていいよ」

そう言われた気がします。

私はその時祖父2人を既に亡くしていました。

また獣医の学校に行っており、解剖などを行なったりそのほかの実習などでも生きた犬やなくなった犬を扱うこともありました。

しかし自分の中に本当の意味での「死」というものはまだ存在しておらず、その子が亡くなって受け止める事ができませんでした。

数日間は暇さえあれば犬のことを思い出して泣き、その後の1ヶ月も夜暗くなって夜道で自然と涙が流れてきたりしたこともありました。

それからは自分の犬が亡くなったことはありませんが、そこから数年後、私を小さな頃から可愛がってくれた近所にいた祖母が亡くなりました。

89歳でした。

自分の母親の次に一緒にいる時間が長かった家族であり、祖母が犬を飼ったのがきっかけで私も犬を飼いだしたぐらい距離感が近い祖母でした。

祖母は肝臓腫瘍でした。

最後の数ヶ月は食べ物が美味しくない、体がだるいなどの症状が出ていましたが意識ははっきりとしていました。

私は当時静岡にいましたが、毎週とはいきませんでしたが時間を見つけては祖母の家に帰っていました。

そこで家族のことに関して聞いたことのない話をたくさん聞きました。

祖母もそろそろ亡くなる、というのがわかっていたのか、私だけでなく母親にも今までしたことのない話をたくさんしていた様子でした。

祖母は亡くなる3日前に倒れて病院に入院しましたが、病院に運ばれた後も意識を朦朧とさせながらお見舞いに来た方々に一人一人丁寧に挨拶をしていたとのことでした。

私も最後病院で祖母に会う事ができ、完全に意識がなかった祖母となぜか数秒間目が合ったのを覚えています。

犬の死は自分の犬も含めて何度も目の前で見てきましたが、人間の死を目の前で見たのは祖母が初めてでした。

最後亡くなっていく祖母を見ていて思った事がありました。

「人が亡くなるってこんなもんなのか」

実はその2日前、祖母が倒れたその日にも病院に行っていたのですが、その時の方が状況を受け入れられず1人で泣いていたと思います。

でも実際に尿が出なくなり心拍も弱くなっていき、心電図も止まってしまって亡くなった、という状況になってもあまり涙が出なかったことを覚えています。

それはなぜなのか??

多分したい話はほとんどしたし、しっかり終わりを見据えて時間を過ごす事ができたからだと自分なりに考えています。

最初にも書きましたが人間含めて動物は必ず死にます。

でも多くの人は自分はまだ死なない、自分の犬猫や家族はまだまだ死なない。

この子は絶対に長生きする。

なんて根拠のない自信を持っているんだと思います。

私も最初の犬を亡くしたときには「なんでこんなに早く」と思いました。

日本では「死」について話をするのはタブーみたいな空気があります。

だからみんな「死」を意識していない。

でも「死」を意識していないと「生」も意識できないんじゃないでしょうか?

終わりがあるから今を一生懸命生きられるんです。

マラソンだって終わりがわかっているから全力で走れるんです。

終わりのないマラソンは地獄そのものです。

「死」は悲しいものですがそれは地球の循環の一部に過ぎません。

草木、虫、動物

この地球上に生まれたすべてのものは生まれては朽ちていきます。

自然を見ているとそれがよくわかります。

それを考えると死は特別なことではありません。

そして辛いことでもありません。

それは動物達を見ていればわかります。

動物達は必ずと言っていいほど亡くなる前に変わった行動をします。

突然鳴き出したり突然食べ出したり。

周りの犬猫に挨拶をしたり、1人でどこかに行ったり。

全部わかっているんです。うちの祖母のように。

そして亡くなる時はおそらく辛くないんだと思います。

生死を彷徨った臨死体験をしている方がいますが、皆さん綺麗な風景の話をしています。

もし苦しかったらそんなとこには行かないはずです。

動物達も最期治療を行わず家でゆっくりしている子はそう言った亡くなり方をしますし、最近病院で残念ながら亡くなってしまった子もご家族との面会の時に穏やかな顔をしていました。

犬猫を飼う目的は「楽しむこと」ですが、犬猫が人に飼われる目的は「死を教えること」なのではないかと考える事がたまにあります。

現代人が失ってしまった感覚を動物達が教えてくれているんです。

動物達には未練はありません。

すべてやることをやってから亡くなります。

でも残された人間には必ずと言っていいほど悔いが残ります。

悔いが残らないためにはどうしたらいいか??

いつ死んでも悔いのないように全力で生きる。

これでいいんじゃないでしょうか??

いつ死ぬかなんてわかりません。

平均寿命が何歳とか言ってますが、明日死ぬかもしれません。

老後の備えを一生懸命にさせられていますが、そもそも老後なんて来ないかもしれません。

この1年で世界は大きく変わりました。

おそらくここから数年、その勢いはさらに加速していくと思います。

そんな世の中において、老後のことを考えるなんてマジでナンセンスだと思います。

大切なのは「今、この時」のみ。

ずっと生きていたい、というのはもちろん誰でもありますが、大切なのは生き続けることよりも生きているときに何をするか、です。

我々は楽しむためにこの地球に生まれています。

それは犬猫などの動物も一緒です。

だから楽しいことだけして悔いの残らないように生きた方が得なんですよね。

人生なんて所詮暇つぶし。

長い長〜い夏休みだと思って楽しんでいきましょう!!

コメント

  1. 本当に楽しんだもん勝ちなんですよね、わたしは数十人亡くなった人を見て葬儀にも行かせていただきましたが両親の時も苦しんだり辛い日々はすぐに思い出に変わってしまいます、先生の言うようにいかに楽しく生きるか?充実した I日をいきるか大切ですね、犬や猫に生まれてみたいです

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